応援とは何ぞや


ずっとずっと前から疑問に思っている。

応援って、何?

学校の運動会。応援する。
これ、多分、割とまっとうな「応援」。

プロ野球、Jリーグ、選手が失敗したら野次る、暴れる。
それ、応援か??
足を引っ張ってるだけじゃないすか。

体育会系応援団。
応援している競技が負けたらこう言う。
「負けたのは俺たちの応援が足りなかった所為だ。」
これは半分間違っているが、半分正しいところもある。
これについては後述する。

じゃあ次、あなた。
そんなにサッカー好きじゃないけど代表の試合を観たとする。
日本が点を取られたとする。
少なからず悔しいとする。
さあどうする。


スラムダンク、というバスケット漫画がある。
主人公のいる高校は初めて全国大会に出場し、
何と二戦目で毎回優勝している強豪と対戦することになってしまう。
点差をつけられ、ベンチにいる控えメンバーは意気消沈してしまう。
そこで控え3年生の木暮(メガネ君)は言う。

「今試合に出ているメンバーはまだ必死に戦っているんだ」
「彼らの代わりになれないのなら、せめて勇気づけよう」


作者である井上雄彦さんの想いが良く伝わってくる。
俺もこれが応援の原点であり、意味である、と思う。

人間は平等ではない。優劣は明らかに存在する。
その優劣が才能である場合もあれば努力によって覆る場合もある。

話を戻すと、
負けてしまった側の応援団が自責の念に駆られるのは、
「彼が試合に出るほど才能がなかった」ことがまず第一にあって、
「代わりになれないから勇気づけようとしたが不足だった」ことが第二にある。
だから、応援団の存在意義は間違っていない。

しかししかし、
贔屓のチームが負けて、野次る人間、暴力を振るう人達、
彼らは応援という意味を考えたことのない、バカな人達である。

その野次を糧にして選手が育つ、という場合もある。
それは余計なお世話だと思う。
野次るヤツのために選手は頑張っているのではない。


俺が生きている理由のうちの何パーセントかは、
「日本のサッカーを”応援”したい」
というのがある、と思う。

そこには、木暮と同じ気持ちがこもっていると思っていただいて良い。


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