自選日記2003


2003/01/01
Wed.
「死ぬように生きていたくはない」

いつものように1年が過ぎ、新たな年がやってきました。
西暦でいうと2003年と呼ぶそうです。

個人的なことを書きますと、今年も俺は何がやりたいのかを見つけられずじまいでした。
一つの考え方として、
「本当にやりたいことなんてガムシャラに探したって見つかりっこない」
という風に考えていました。
今でもそういう風に思いはしますが、ちょっと今年は考え方を改めます。

ただ「その機会を待つ」っていうのはやはり間違いだと思います。
そのための用意ってできると思うんですよね。
そのための用意ってやっぱり楽しいことばっかりじゃなくて、
面倒くさいことや、嫌なこともやっとかないといけないと思うんです。
目標に向かってない努力はクソだってことは百も承知です。
でも目標が何か分かってない自分にとって、そのチャンスのための、「間口を広げておくための努力」っていうのは必要だと。
体力とか、語学とか、知識とか、いろいろあると思うんですよね。
それらを、自分のための努力ってやつを、回避しない。

そういう努力。
それは積極的にやっていく。
そういう年にしていきたいと思います。

月並みですが、皆さんにとって2003年が良い年になりますように
皆さんが、皆さん自身で、良い年に出来ますように



俺の限界はココ
これ止まりと
他の誰でもない
俺が
俺自身が
見限ってるんだ
自分を
その可能性を
区切っている
出来ることと出来ないことに

いけ
閃きを無駄にするな
超えろ
恐れを
躊躇を
疑心を
押しのけていけ


カイジ/福本伸行



2003/01/19
Sun.
「時間をかけて形作られるもの」

このHPも4年目に突入です。
その間に新しく出来たサイト、いなくなったサイトのいかに夥しい事か。

かくいうこのサイトも最近更新が少ないです。
管理者の性格によるところもありますが、バイオリズムというのもあります。
書きたいことすらないこともあれば、書きたいことはたくさんあるけれども文章に書き起こすのが億劫な時期と言うのもあります。
良い写真が撮れたら載せたいと思いますが、更新するという作業自体が億劫なことがあります。
何なのでしょうね。

色々変更したい箇所とか、消去してしまいたいページなんかもあるんですが、それをすることが相当億劫です。
今考えてることと、その昔のページが相反することを言ってたりする場合はさっさと排除しないといけないのですが。
あと今見たらかっこ悪いなあと思う部分もさっさと削除してしまいたい。
ダメですね。
そうすることに如何にパワーを使うか。
今はできません。理由は自分でも分かりませんが。

でもサイト自体を閉めたいと思ったことはありません。
如何に自分に目標がなくて、生きる価値があるのかないのかも全く分かりませんが閉めたいと思ったことはありません。


ある小説で、ある人物が亡くなりました。
この小説とはもう12〜13年来のつきあいで、その人物はその小説の主要人物でした。
普通に親族の死以上に悲しくて涙しました。
こう書くと不謹慎ですか?
でも事実です。

時間軸というものは人間にとって物凄い影響を及ぼしますね。
何らかの事象を非日常から日常に(あるいは逆に)変えてしまうという意味で。

彼は既に僕の中で完全に一つの人格を持った「実在した人物」になっていたのです。
そうなるには当然彼を生み出した作家の才能によるところが大きいのですが、これは凄いことです。
彼は彼の生きた世界の中で泣き、笑い、まさにこの地球に存在する数多の人間よりも僕に身近に生きていました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、その世界は僕の中で「現実に存在」します。
地球で起こりえない事象、地球で理解されない事象もそこでは起こりますが、あそこは現実に存在します。

自分にとって何がリアルなのか。何をリアルと思うか。
無意識のうちに選択している場合もあるだろうし、意識的にそうしている場合もあるでしょう。

自分以外の他者、特に世論やマスコミの持つ情報なんかに、あなたのリアルはありません。
自分で探して、気付いて、触れていくんです。
その先に、中村一義の言うところのオンリーワンも、あるのでしょう。


本当に自分の生きている理由は全く分かりませんが、
このページを閉じようと思ったことは、ありません。


2003/09/07
Thr.
「予定調和」

その昔、NHKのさる担当者の方からコメントを依頼されたことがある。
放置自転車に関する番組を作る予定なので、意見を聞かせて欲しい、というような内容だったと思う。

ちょうどその頃浦安市の放置自転車に関する話を日記に書いていたので、
その方はそれを偶然にも検索でひっかけたらしい。

で、たった今、NHKで放置自転車に関する番組をやっている。
これもたまたま見かけたものである。
何か縁があったとしか思えない。

まあ、音声を消して見ていたのでおおよその流れしか分からないが、恐らく、
違法駐輪する人たちを先ずは悪者に仕立て、いかに違法駐輪をなくすかをあの手この手で考える、というような感じだ。

ほとんどの施政者は違法駐輪に対して景観を損ねるなどという理由から、
・駐輪場を設ける
・違法駐輪は撤去する
・花壇や赤いコーンを置いて無理矢理スペースを埋める

などの施策をとっている。いずれも愚策である。
人を信用しているの結果ではなくて、根本から問題を治そうという気概が全く無いのだ。
金を払って、しかも遠い駐輪場に停めに行くほど、人間はお人よしではない。
放置自転車をなくすには、中途半端は許されませんよ。

ただ老人雇用のことだけを考えたような、ゆるい、週一の撤去作業程度ではダメです。
毎日撤去するくらいやらないとダメです。
総体としての人間に対しては、パブロフの犬のように教え込まないとダメです。
あるいは都市計画の時点で先天的に考慮に入れていないとダメです。

携帯電話を見てごらんなさい。
携帯電話でカメラを使うとき「必ず音が鳴る」こと。
携帯電話を濡らすと「必ずバレる仕組みになっている」こと。

総体としての人間を扱うにはこのくらい「信用しない」ことが最早当然です。

え?
残念ですか?

東京ディズニーランドにゴミが落ちていないのは、この「信用しない」ことを前提に計画されているからです。
夢を売っているところこそ、こういう気を配らないといけないなんて皮肉なもんですね。

「反対」と言ってれば戦争がなくなるのか?
なくなりませんね。それが現実です。

残念ですか?





2003/09/22
Tue.
「大臣?」

本日、小泉内閣が刷新されましたね。
僕の認識ですと、官僚のトップ、すなわち役人としてのトップは次官であって、各省庁のトップは政治家がなるようになってるんですよね?
で、次官以下はその省庁から上がってきた人だからその省庁のことを良く分かってる。
一方、大臣とやらは、僕から見ると、至極適当に割り振られているような。
竹中さんの金融経済担当というのは珍しく分かりますが、今までの大体の大臣のイメージとしては、
「おまえらホントにその省庁を担当できんのか?」
というところです。

で、NHKで新任大臣の挨拶及び質疑応答が放送されてました。
たまたま回答してるのが、国交省の石原伸晃さんだったんですが、あの立居振る舞いを見た限りですと、少なくとも石原さんはどこの大臣になってもちゃんとやっていける人だと思えました。
逆に言うと、政治家でも何年もやってると大臣職が回って来たりする人もいるんでしょうが、ダメな人はどこの大臣を任されてもダメなんでしょうね。きっと。
そう思いました。
ああいう質疑応答を見ていると良く分かると思います。
で、やっぱり、質問してるマスコミが愚かすぎます。
あいつらの質を上げるところを日本は先ずやらないといけないと思います。
その国にとって、マスメディアの質というのは相当重要です。

そしてこれは前々から思ってることですが、それら政治に対する我々の参加の方法についてです。
後援会とか僕が良く分からない仕組みがありますが、例えば選挙について言えば「公約」で判断するのではなく、きちんと「その人がやった結果」でもって次の議員を選出すべきと思います。
その人の前職が議員でなければ「その人のやってきた結果」に加えて、展望も必要でしょう。
公約なんていうものが「あってないようなもの」だとみんな気付いていながら、他に判断材料がないので仕様がなくそこを見てしまう。
それではダメでしょうね。
結局「その人が何をやったか」がウヤムヤなまま次の選挙次の選挙になってませんか?
少なくとも二回目以降、議員をやる人についてはその人のやってきた結果を見たいです。
大きな括りでみれば、その議員の属する党が、どういう活動をしてきたのかということになりますが、我々からみればそこは見るべきではない。
議員自身を見るべきでしょうね。

もういい加減、選挙カーから名前を連呼するだけの無意味な選挙活動はやめさせましょう。
選挙カー借りたり、バイト雇って名前連呼するのって税金でしょう?
あんな無意味な宣伝方法ないっすよ?
それで効果があるなら企業がやってますって。
そうしていたのはそうしなければ伝わらない時代があったからであって、それを「今」踏襲する必要なんて全くないです。
そして、「その人は何ができて、何ができないのか。過去にどんなことをやってきたのか」を正しく伝えられる、立候補者を探していきませんか?

そういう観点でも、小泉さんがやってきたことはかなり画期的だったことももっと理解しないといけないです。
結果が出ない結果が出ないと言っては勝手に踊ってるバカマスコミに踊らされてはいけません。
あいつらはホントどうしたいんでしょう。ネタさえあれば日本がどうなろうとどうでもいいんでしょう。


あと、政治家を「先生」と呼ぶ変な習慣もやめましょう。
呼ぶ方も呼ばれる方も人格を疑っちゃいますね。



2003/10/06
Mon.
「母性」
ある日、駅前の惣菜屋さん街でお昼ゴハンでも買って帰ろうと思った。
偶然、赤飯を売り物にしているお店が目に入った。
そういえば今まで美味しい赤飯なんて食べたことなかったなあと思い、此処で買ってみるか、と思った。

レジには誰もいなかったので奥にいたおばさんを目で呼んだ。
やる気なさそうな、無愛想な顔つきで出てきたので、瞬間、店を失敗した、と思った。
これをくれ、というと、そのおばさんはレジを打った。
レジには定価より安い金額が表示されている。

「兄ちゃん学生さんだろ。50円まけといてあげたから。」

と言って笑った。
とても良い笑顔だと思った。
やっぱりこの店で良かったんだ、と思った。





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