僕みたいな庶民がこういう得体の知れないモノに対して挑むというのはハッキリ言って恐ろしいことです。 まあ、書く前から批判の言葉しか浮かんでないわけですから要は敵に回すってことなわけです。 こんなモノを敵にまわしたら僕如きの日々の生活は簡単に狂わせてしまうような存在なわけですよね。 そりゃあもう赤子の手をひねるよりかるく。 ダラダラと同じような文章を並べたのは、問題提起です。 ある宗教、その教義に対して異を唱える。 その結果何やら我が身に恐ろしい報復が待ち受けているのではないか。 そう思わせる時点で宗教という存在はおかしいわけですよ。僕にとって。 その存在理由は恐らく、人のよりしろとなるものであったり人の助けとなるものであるはずです。 例えそれが信者であろうと無かろうと、ですよ。 ここがひとつの問題なわけですね。 信者なら擁護して、そうでないなら排他する、という考えは確実におかしいでしょう。 民族間の対立が絡んでくると島国育ちの単一民族の僕にはそれを議論する立場にない、というか想像できないので、これはここでは民族間の問題は別の問題としておいておくことにします。 敬虔な、とか、信仰あつく、とかいう言葉。 良いイメージですね。それも宗教がらみの言葉。 宗教に入ってやる気が出てきた。 宗教に入って体が良くなってきた。 本当かどうかは知りませんがそんな言葉もちらほら聞きますね。 宗教がここまで大きな存在になっているのは当然のことながらそれが大勢の人の支えになったり大勢の人を助けたりしているということでしょう。 収入源になって助かった、などと言う人はここでは論外です。 高価な壷を買ったら本当に何もかもが良くなった、とかいう人もいるかもしれません。 財産をすべて教団に投げ出したら本当に何もかもが良くなった、というひともいるかもしれません。 結果としてそうならそれでその人は良いのかもしれませんが、 問題は売る側が、没収する側がどういう意図でやっているのかが重要なところですよね。 一方で、そういう人を救うべき存在が人を傷つけたり戦争を起こしたり洗脳したり薬漬けにしたり金稼いだりしかるべき地位を築いたりしてるわけですよ。歴史を見てる限り。 それって絶対おかしいでしょう。胡散臭いでしょう。 で、宗教間で対立したりするわけですよ。 教義の受け止め方が違うとか何とかっいって。 しまいにゃ信者騙って人数勝負に出たりして。 多いもん勝ちかい!信者多いほどその宗教が優れてるんかい! それともその後にきたるべき大喧嘩に備えてるんかい! 何かを強制すること。 強制していないかに振舞うこと。 その人の為に良かれと思ってやっていないこと。 信仰してない人、あるいは他宗派の人を排斥すること。 現実を見ないこと。 そんな傾向が顕著にある気がします。 そんなものはハッキリ言ってクソクラエですね。 |