生きていますか



グイン・サーガという小説も
ベルセルクという漫画も
読んだことのない人にとっては若干伝わりにくい内容かもしれないけれど

人間の
普遍的な
生の意味
みたいなものに興味があれば読んで欲しい。


幼少期に,「肛門期」といわれる時期が人間にはある,
と原田宗典さんがどこかに書いていた。
穴があれば何かを突っ込まずにはいられない時期だそうだ。
それを否める人は恐らくいないだろうと思う。
自分が未だに肛門期な気もする。

穴を埋めて何が得られるわけでもなく,
ややもすると有害であることが解っていてさえ埋めてみたいという願望を持ってしまう。
でもその願望がどこから来るものなのかは解らない。

バベルの塔,といわれる塔があった。らしい。
本当にあったのかどうかはともかく
高みに到達したいという願望がここにはある。
それが高ければ高いほど何かに近づいているような錯覚(敢えてこう呼ぶ)を覚える。
これも否める人はいないのではないか。
でもその願望の根拠がいずこにあるのかは解らない。

「私は知りたい。生まれてきたからには私は知りたい。全ての秘密を与えよ。」
グインサーガ「鷹とイリス」より引用


意識か,あるいは無意識のうちに人はそう思っている。
その結果が,というかその変形が上記した例だと思う。


あまりに「知りたい」願望の激しい者
それに近づける可能性の高い者

同じ望みがあっても
それに届かないと,果たせないと知っている者

それは彼ら自身が選んだことなのだ。
だからそれについて,
私がいたんだり,
悔やんだりするのはあまりにも傲慢である

世の中には何かを与えてやることではなく
何かをしてもらうこと
何かを与えてもらうことによってだけ与えることのできる贈り物もあるのだなと
その贈り物の名は信頼というのだと


生の意味の一端がその辺りにあるのなら
死にはあまり意味はない。
人も動物と変わらない。
人間の創り出すモノも「人工」ではなくそれは「自然」でしかない。
原子を操作することも
遺伝子を操作することも
それによって何かに近づくことも
それを戒めることも
それによって滅びることも。


輪廻転生の思想も頷けるし,
「死は生の対極にある」のではなく
「生に内包されるもの」であるという考えにも頷ける。

問題は
人(人類か)が時を経て
「全ての秘密」
に近づいているのかどうかだ。


life.jpg


でも近づいたとして?
秘密を知り得たとしたら?
その次は?