彼に出くわしてしまったのは中学三年のことだったと思う。 デーモン小暮のオールナイトニッポン!ふひゃはははははは... と毎週始まる。必ず。 もともとラジオにはまる素質はあった様に思う。 大阪では毎日放送のヤングタウン(通称ヤンタン)というかなり有名なラジオ放送がずっと放送されていたのだが、 小学六年の頃には金曜日の谷村信司(かなりエロ系。ばんばひろふみと三田寛子が出ていた)や月曜日の明石家さんまを愛聴していた。 その頃はまだ良かった。おもしろさのみを求めていたからだ。 で。 閣下の番組も非常に面白かった。 夜中に腹を抱えて笑った。 未だに録音した120分テープが実家に数十本ある。 しかし、彼は笑いのセンスのみならず、人に影響を及ぼせる思想、哲学を持っていたと思われる。 そもそもあのような奇怪な様相で(彼らはそれこそが真の姿なのであった)バンドを長期間に渡って行えていたということ自体、尊敬に値する。 どれだけか風当たりはきつかったであろう。特にバカマスコミなどは散々叩いていた。 しかしながら、彼らの布教(バンド活動の意)が続いていたのはひとえに彼らのキャラクターと信念、楽曲の良さであった。 当時の閣下の著作 「我は求め訴えたり」 は私の当時のバイブルであった。 この頃から、私は社会の仕組みというものを理解していったように思う。 本当に宗教になってしまいそうな勢いである。 屁理屈で理屈に勝ってしまったりするのだから。 今、私が理屈っぽくなっているのは理系だからというよりも このおっさん、いや悪魔のせいだと思われる。 |