2004/03/29 Mon. 「ヒルズの回転ドア事故で、テレビの前でお詫びといって頭を下げてる人達は一体誰に詫びてるんだろう」 普通に生活しているだけで耳に入ってきてしまう。 なんでこんなに取り上げられてるのかが良くわからないが、世間の論点がずれてる気がするので、書く。 六本木ヒルズのビル入り口の回転ドアで、6歳の少年が挟まれて死んだらしい。 んで、そのビルのオーナーである森ビルと、回転ドア設備を委託された三和シャッターなる会社が責任のなすりつけ合いをしてるわけですね。 まあいつもどおりの醜い風景ですよ。 森ビルのウェブサイト上のお詫びも、三和シャッターのそれも、別にWEBサイト上に掲載するような内容ではないですね。 遺族の人に送ればいい内容ですよ。 何ていうか、まあ、これもいつもどおりの醜い上っ面ですよ。 まあ、ちょっと悪者になる覚悟で言いますが、この件で誰に問題があったかっていうと、親でしょ。 親。 状況をはっきり知りませんので、ひょっとしたら本当にビル側に非がある状況だったのかもしれない。 いずれにせよいつもどおりの醜い世の中ですよ。 いつもどおり、ね。 |
2004/03/26 Sat. 「小悟」 自分なりの答を出すのに時間がかかる たまには他人の言葉に揺れてみたりもする 咀嚼する いろんな角度から照らしてみる これは俺なりの答か? 答を出すのが人並はずれて遅いので 間に合わないこともある 誤解を招くこともある 理解してくれる人があれば 去る人もいる どうやら答を出すのがまるで遅いことに気づいたのも 結構最近の話で あゝ そうだったのかと自分で感心した ついでに劣等感で悲しくなった いろんな角度から照らしてみて 俺なりの答だと思えたら ひどく時間がかかる不甲斐なさと引き換えに それには自負と自信がある |
2004/03/22 Mon. 「本質という単語を読み解くための一つの題材」 BLEACH/久保帯人 というマンガがございます。 週間少年ジャンプ連載中で、単行本では12巻まで出ております。 ここで一句。 給食は 嫌いなものから 片付ける うおー何て中身がねんだー まあつまり苦手なもの(=褒めること)から先に片付けたいということでして、えー、 このマンガはとても切り口が上手だ!脚本と言い換えると良いのかもしれません。 ストーリー展開、キャラクター設定、シリアスとコミカルのバランス、など。 端々に配置されている詩的な(耽美な?)文章は、特に。 マンガは登場キャラが独り立ちしてるかどうかがかなり重要なところですからね。ええ。 ついでに絵も上手です。デザインのセンスがあるというか。 (俺ごときに「あるというか」なんて言われたかないでしょうが..) 伏線の配置の仕方なんて、ジャンプのメイン読者層(=小中学生?)ならずともハマっちゃいます。 私も一応ハマりました。それくらい面白いっす。 ...という前フリをして、本題に入りましょうか。 結構昔の話ですが、ヤングジャンプで、きたがわ何とか(翔?)という、多分けっこう有名なマンガ家が、主人公に言わせてたセリフ。 山田詠美さんの小説のパクりっぽかったことがあったのですね。もう、ほぼ一緒。 (もしきたがわ氏が、山田詠美なんて作家の本は読んだことないぜ、とおっしゃるなら、ごめんなさい。僕が謝ります。) あれは、相当感銘を受けたんでしょうか。それとも山田詠美さんと全く同じ考え方だったということなんでしょうか。 真実は分かりませんが、その、きたがわ某のマンガは主人公のキャラがユニークで、それがウリで、それなのに。 一番大事な部分が他人の模倣(発想)なんて...。 そりゃイカンですよ。あなた。 まあ、同じようなパクり例は世の中にはゴマンと存在するわけですが。 テニスの王子様、とかいうマンガもジャンプに掲載されてるんですが、まるっきりスラムダンクなわけです。 これは方法論をパクった例です。ボールがバスケットボールからテニスボールになっただけ。 で、BLEACHというマンガに出てくる主人公の持つ剣。 主人公の母親が眠る墓地に続く長い坂道。 作者がベルセルクも京極夏彦の作品も、読んだことがないならば、あえて気づかなかったことにしましょう。 これらは本質を際立たせるための装飾であって本質ではないですから。 しかしですね。 キン肉マンやセイントセイヤ(聖闘士聖矢?)、ドラゴンボールなどなど。 彼我の力関係を定量的に数値化した瞬間、一気につまらなくなってしまった過去を我々は知っているわけです。 それでは単に主人公が力(ちから)のテッペンを目指すだけのマンガになってしまう。 それが本質になって、この作品の良い部分全てが装飾になってしまう。 このマンガは、結局のところ、何が言いたかったのか。 というのがあるのかないのか。 そこんとこが僕にとっては多分に重要なのです。 本質をつけば、マンガは芸術になり、文学たりえるはずなのです。 マンガなんか読むな! なんて言う親はいなくならないといけないわけです。 うーむ。長くなったなあ。 あ、もう一句浮かんだぞ。 牛乳は 飲んでる途中で 笑わせる ・・・。 |
2004/03/16 Tue. 「誰も口には出さないけれども厳然と存在している『モノ』の例」 宇川の前に座ったOLらしき女が素早く宇川の頬のケロイドに視線をはしらせた。宇川は健気にもそれに気づかぬ振りをして窓外に視線をやっている。自動車教習所が見えた。私は教官に先導されてコースを走るオートバイを一瞥したが、宇川は何もみていないようだ。窓に映ったその瞳は顔に穿たれた穴にすぎない。その眼差しに滲んでいる寂寥に、私は打たれてしまい、だが宇川はすべてを頬のケロイドのせいにできるではないかという幽かな嫉妬の感情を胸の裡で微妙に滾らせていたのであった。
汀にて/花村萬月
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2004/03/14 Sun. 「誰も口には出さないけれども厳然と存在している」 世の中にはっきりと存在しているけれども、なかなかお目にかかれないものってたくさんあります。 絶世の美女、だとか、でっかいダイヤモンド、とか白馬の王子様とか、そういうことを言いたいのではなく。 お金を払うことで「見ずに済んでいる」もの、 あるいは「そんなものはないのだ、というふりをしたくなるもの」です。 死体、死体処理 嫉妬や誹謗中傷のたぐい 糞尿や残飯の処理 歪んだ欲望 食用動物の解体 宗教のもたらしている弊害 戦争 そういった負の感情をもたらすものです。 それらのものから、全ての人が目を逸らして生きていくべきではない、と思うのです。 それらがある、という前提で、物事を考えていかねばならないのです。 考えてもらいたいのです。 それでこそ世界、ではないですか。 誰もがなくしたいと思っている戦争が、世の中からなくならない理由って何でしょう? 「戦争反対」と唱えているだけでは戦争がなくならない理由、とも言えます。 その理由は、厳然と存在はするが、みんな見て見ぬふりをしているのです。 花村萬月という作家が割りと好きです。 彼の醒めた視線は、時に彼の著作を遠ざけがちですが、 その著作の内容には相当なリアリティを感じます。 (文学性が包含されていることは勿論必要ですが)そういうリアリティをこそ、 小説や映画には求めたいと思っています。 お金を払ってまで、ハッピーエンドの映画を観て、 本当の事から目を逸らしている場合ではないのです。 |
2004/03/01 Mon. 「骨」 もしもあなたが死んで 白い灰だけになったら 綺麗な絵の具と混ぜて あなたを描こう 骨/天野月子 これ。これ! 良くないっすか? 俺、これやってほしいなあ。仏壇とかお墓とかぜんっぜん要らないし。 歴史が証明していることの一つとして、宗教は政(まつりごと)のための道具に成り下がってしまう というのがあります。 そうすることが施政者にとって楽チンなんでしょうね。 鶏が先か、卵が先か最早わかりません。 自分がいかに建前というのが嫌いか、最近はっきりしてきました。 同じ理由でディズニーランドも嫌いだと思います。 ま、骨に何かが宿っているのか、あるいはその考え自体が生者の感傷なのか分かりませんが、 仏壇作られるより、お墓とか作られるより、一枚の絵にしてくれた方が全然嬉しいですねえ。 綺麗な絵の具と混ぜて。 絵を描く人は、やっぱり俺の知り合いが良いですね。 でも誰、という風に指定もしたくない。描きたいと言ってくれる人がいれば。 別に俺を書いてくれなくていい。 その人の好きな絵を、描いてくれたらそれでいい、と思います。 |