2004/02/20
Sat.
「日本アカデミー賞」

そういう賞が日本にはあるらしく、その受賞式が民放で放映されていた。

一体何を以って評価してんだ。
バカじゃねえの。

関西弁の発音がろくにできてないくせに選ばれてる奴。
視聴率を意識して選ばれてるくさい奴。
そんな奴が候補に選ばれてるんじゃねえよ。
中には本物もいるんでしょうが..



2004/02/12
Thr.
「ラス牛」

恵比寿にてラス牛を食べる。
酔っ払っていて腹いっぱいで、残しちゃいました。すいません。
食ってたらどんどんメニューが裏返されていきました。
何となく一つの終焉に立ち会った感じでした。
終わりの始まり。
何時頃だったのか全く覚えてません。

いつまでかは分かりませんが「ヨシギュウ行こうぜ」って科白はなくなるわけですね。
「じゃあヨシノヤでも行ってみる?」って言うんですかね。
ま、いずれにせよマスコミの報道の仕方は毎度毎度ハラがたちますね。
でもね、最近良い友達がね、周りにいる感じでね、楽しいっすね。
何が大事なのか、ハッキリしたいっすね。
何が大事なのか。

えっと。サッカー。音楽。小説に、新宿の立吉。トモダチ。サッカー。サッカー。
それから...何だっけ。
多分大事なのが抜けてますね。

今日の日記はマジつまらないっすね。
書くなって感じっすね。すいません。

さて、YOSHII LOVINSON聴きながらカルチェ・ラタン読もうっと(逃)。



2004/02/07
Sat.
「カルチェ・ラタンを歩く」

ね、ね。
何か格好良いっしょ?この題名。
「世界の車窓から」にインテリ要素加えた感じっしょ?
ホントは「浦安の四階から」に寝起き要素を加えた感じなんすけどね。

いや。あの。別に。何てことはない。
最近ずっと佐藤賢一祭りなんす。
「双頭の鷲」から始まり、「傭兵ピエール」、「王妃の離婚」ときて今「カルチェラタン」読んでるってだけっす。
学生時代には世界史とは無縁だったのでフランス史ってやつが妙に新鮮で、面白いんですよね。

こんなことなら世界史やっときゃ良かった!
とは思わないでしょうね。
だって世界史の教科書なんかじゃ絶対に面白くないっすよ。

何年に何が起こった。誰が殺された。即位した。
って書いてるだけでしょ?
そりゃ面白くないでしょうねえ。

ジムにも行ってるんですけどね。はっきり言ってキツいっすよ。
でもやっぱ背景に好きなことがあるとできちゃうんだなあ。
そういうことを教育関係者どもは考えんといかんのう。

今更ですけどね。佐藤賢一。
まだ未読の本がたくさんあって嬉しいなあ。



2004/02/06
Fri.
「ジョゼと虎と魚たち」

平日のイクスピアリでこの人数はどういうことだ。
20〜30人はいたかもしれない。異常だ。(通常は10人程度。)

観客を呼び寄せている理由が知りたい。
犬童一心か。
くるりか。
妻夫木くんか。
それとも田辺聖子か。

原作を読んでから評を書こうとも思ったが、敢えて、今のこの感情を著しておきたいと思う。
それ程に珍しい映画であった、と思う。
今まで、こんなところに落っこちてきて、整理できない映画は、なかった。
まだ咀嚼できていない気がする。

いわゆる単なるラヴストーリーである。
なんてことはない。

文学は、娯楽に包含されていると思う方。
ジョゼという女性すら一つの記号でしかないと解釈する方。
そう思う方々にはちと窮屈な考え方になるかもしれない。

この映画は、ジョゼの人生の、ある時期からある時期までを切り取った物語だと、そこから始めたい。
ツネオくんの人生を切り取ったものではない。とする。
その切り取られた、閉じた空間に、触媒のような、一滴の雫のような、ツネオという存在が関わる。
この映画において彼は単なる記号であろう。

その雫に反応する、ジョゼのココロの揺れ、弱さ、諦念、そして変化が普遍的な人間の本質を捕らえていたから、
文学の匂いを放ち、単なるラヴストーリーのくせに、と思う気持ちに反して整理できない素晴らしさがあった、と整理してみる。
そんな感じで僕の四つ目の胃袋に納まったように思う。

リュウグウノツカイが見えるジョゼ。一生見えないであろうツネオ。

本質とは、何だ。
特に、人間の本質とは、何だ。


映画の本質とはかけ離れるが、この映画における池脇千鶴は圧倒的である。
久々に女優を見た気がした。