2003/11/17
Mon.
「美ら島日記 (最後の日、または始まりの日)」

テント生活になると自然と朝に目が覚めるようになる。
友人より早く起き、キャンプ場にある机にて読書。清清しいとはこのことか。

旅の最終日となる今日の予定はシュノーケリングと由布島ツアーである。
まだあまり日焼けができていなかった我々は午前中に由布島ツアーをし、午後の日差しの中でシュノーケリングにて魚と戯れようということになった。

由布島ツアーと言っても特に何かをツアー会社に申し込むわけではない。
ただ水牛車乗り場に車を乗りつければ良い。

由布島はタイヤキのおよそ口の部分に当たる箇所に、かろうじて浅瀬で隔てられたとても小さな島である。
1時間もかければ全て歩いて回れるだろう。
引き潮の時には西表島と陸地でつながるが、満ち潮の時は深さ数十センチの浅瀬となる。

ここを水牛車で観光客を渡らせる商売が、日常として成り立っているのだ。
これに加担すること自体が正しいかどうかは分からない。
しかしながら妥協案だとしてもこれが地元の人の選んだ道でもあるのだろう。

水牛車に乗りながら二度目の安里屋ユンタを聞く。
前に聞いた兄ちゃんのものより安っぽい気がしたが、いい歌だ。そして十数分で由布島に到着する。

さて、島は95%ほど観光客のための施設や見せ物と化している。
早々に退散する。

そのまま北上し、星の砂ビーチを通り越して「唐変木」という店で昼食。
ここのチャンプルー定食もかなり美味かった。
その後、星の砂ビーチまで戻り、いざシュノーケリングである!

この時シュノーケリングは二度目だが、サイパンで味わったような感動、すなわち色とりどりの魚と戯れることができていなかったのだ。
しかしここは!
それが!

うおースパム買ってきて良かったぜーちきしょー

というくらいの色とりどりの魚サカナ魚である。
すでに西表島はミーニシが吹き始める季節で肌寒くはあったが異様にテンションが上がる。
異様にテンションが上がったあたりでウミヘビの姿を発見してしまう。
急いで逃げる。異様にテンションが下がる。

その後はタイムリミットぎりぎりまで日焼けを敢行する。
去来する寂しさと戦う。
レンタカーを返し、港へ。
乗船し、石垣島へ。

フライトまでは少し余裕があったので最後に「エンダー」で軽くメシを食う。
Yahooでエンダーを検索してみよう。何故かフェンダーやジェンダーがヒットする。
要するにこういうところできちんと A&W をヒットさせるのが我々システムエンジニアの使命なのだろうな。

A&Wとは沖縄で知らない人はいないであろうファーストフード店であり、エンダーはその略称(?)なのである。
ここではルートビアという不思議な飲み物が飲める。しかもおかわり自由だ。
これは何味だ?ドクターペッパーか!?
何故おかわり自由なのか!?
それはおかわりできない味だからだー!
違うのだろうか...あれはおかわりどころか飲み干せないぞ..すまん沖縄..

石垣空港までタクるとそこには到着したそのままの空港があった。
当たり前だがあれが1週間前とは思えない。
そして何を血迷ったか半袖半ズボンのまま飛行機に乗ってしまう。


さらばハイビスカス。
さらばイラブチャー。

さらばデジカメ。

さらば石垣。



2003/11/05
Wed.
「美ら島日記 (6日目後編)」

ブルーになるココロを抑え、トレッキング開始。
ここからピナイサーラの滝の上に向かう。

ブルーになるココロを抑え、兄ちゃんの説明を聞く。
マングローブ、という植物があるわけではないのだ。
西表島にあるのはヤエヤマヒルギという種類のマングローブである。
その他にも種類があるようだが、マングローブというのは果たして、海水と淡水の混じる場所に生息する樹木類の総称であった。

ブルーになるココロを抑え、ひたすら登る。登る。登る。
やはり野郎3人なので異様にペースが速いらしい。
出発前に配給されたペットボトルのお茶を飲みつつ、休憩する。

中年のおっさんは福井県から来たらしい。
ちょっと石田純一風だ。
髪の毛の薄くなり具合なんかもそっくりである。
彼も旅好きらしく、この旅に来る前は屋久島を旅したらしい。
相当に薦めていた。相当良かったらしい。
俺は良くない。だってデジカメが水没したんだもの。
ううう
ブルーになるココロを抑え、更に登ると、森を抜けた。
こ、これは..

爽快というのだろうか。完全に遮るもののない風景。海。森。空。
そして空から顔を出した太陽。
最高だ。
とりあえず最高だ。写真は撮れないが最高だ。

滝のキワまで行ってみる。恐ろしく高い。
他の奴らは高所恐怖症らしく誰も崖まで近づけないらしい。
全員しばし言葉を忘れる。

1時間ほどこの滝上で自由とのこと。各自思い思いに過ごしていた。
なんていう素敵な時間の過ごし方であろうか。
配給された弁当を食し、川を遡ってみる。野郎どもと団欒。絶景を眺めながら一人の世界に沈む。

山を降り滝壺を経由し、カヌーに戻る。
ペースが速すぎてまだ潮が満ちていない。ところどころカヌーから降りて引っ張って帰る。
二日連続で西表島温泉につかり、湯上りにオリオン。
そして満天の星空の下でバーベキウ with オリオン。

最高に素晴らしい一日。



2003/10/27
Tue.
「美ら島日記 (6日目前編)」

あまりの風音に夜中に何度も起きてしまう。
朝9時過ぎにワゴンに乗った兄ちゃんがキャンプ場まで迎えに来てくれた。

昨日のうちに予約しておいた「カヌーとジャングルトレッキング」ツアーである。
カヌーだけ貸してくれるというメニューもあったんだが、カヌー初心者にはちと無理だろうということでガイド付にしてもらった。
このガイドが、迎えに来てくれた兄ちゃんである。

ワゴンには先客が一人いた。中年の男性だ。
今日はこの四人で出発らしい。
色気もへったくれもない。

出発地に着くとガイドの兄ちゃんが開口一番に言った。
「いつもは女性が多いんですけどね、今日は僕もテンション低いです、はい。」

おいっ!!
こっちもテンション下がってるっちゅうねん!頼むでキミー!
大した説明もなく、カヌーに乗せられる。そして出発。

追い風のため何となく進んでいる感じだ。
ちゃんと漕げているんだかどうだか自分でも良く分からない。
若干曇っているのがタマニキズだが、

楽しいぞこの野郎ーーーー!!!

俺の着ていたユニフォームに気付いたガイドの兄ちゃん。
「フクマさん、ひょっとしてサッカー好きっすか?」
「おうよ。三度のメシより好きでい。」
「いやー僕も好きなんですよー」
「やるなおぬし..」

てなわけでサッカー談義に盛り上がる俺とガイドの兄ちゃん。
カヌーも教えろよ、おい..

カヌーで行き着けるところまで川を遡り、そこからはトレッキングになる。
ここでこの旅最大のハプニング勃発。俺の目にはスローモーションで映っていた。

俺様のデジカメが水没していく様を...泣



2003/10/26
Sun.
「美ら島日記 (5日目)」

流石に4回目になるといい加減にしてくれ..と思いたくなるホテルの朝餉。
今日はチェックアウトし、レンタカーを返却し、西表島に渡る日である。

八重山諸島を巡るには船を用いる。
いや、船以外はないだろう。
石垣港で見た限りでは「安栄観光」「八重山観光フェリー」の二つの会社が八重山諸方面に船を出している。
石垣島→竹富島には片道で数百円、石垣島→西表島には片道2千円前後であったと記憶している。

これも皮肉な話で、観光客が多いためにこれだけ交通が栄えることができているのだろう。
島民は何がしかの報酬を受けているのだろうか。

観光問題はさておき、このフェリーを使って我々は西表島に上陸した。
その足でレンタカーを借りる。
今度のレンタカー会社は「やまねこレンタカー」。
いや、別に名前なんてなんだっていいのだ。サービスさえ良ければ..
借りれたのは三菱のランサー。
全くオートマってやつはむかつく代物だ。
こんなに勝手に変速されて皆はムカつかないのだろうか。フシギだ。

さて、西表島であるが、形としての形容が難しい。
無理を承知で、右を向いたタイヤキくんということにしよう。
今回は可愛い形容だから許してもらいたい。

で、このタイヤキくんの殆どがネイチャーである。
舗装道路はタイヤキくんの口当たりから背びれ辺りまでの輪郭をなぞる一本のみ。
それ以外はマングローブを含む亜熱帯ジャングルである。

昼過ぎに到着した我々の本日の目的は食料調達およびキャンプ場の選別である。
食料については島内にいくつもないであろう、こじんまりしたスーパーで事足りるようだった。
一方、キャンプ場については事前には三つの候補地があった。
しかしながら一つ(ヒナイビーチキャンプ場)は廃れてなくなっており、一つ(星の砂キャンプ場)は火を熾せないという。

ここにも観光客のマナーの悪さが反映されているように思われた。
唯一火を熾せたのがミトレアキャンプ場である。
ここは結果論だが、至れり尽くせりの上出来のキャンプ場であった。
ストイックなキャンパーは避けた方が良いだろう。
トイレあり、シャワー室あり、洗面台あり、キッチンあり、果てはハンモックまで常備されていた。

先に見つけていたスーパー川満(カワミツ)で食料を調達し、無事、男の料理が始まる。
とりあえずホイル焼き、とりあえず炒め物という感じである。
美味い。

美ら島(沖縄県の島々を指して「チュラジマ」と呼ぶらしい)では、夏が過ぎると新北風(ミーニシ)と呼ばれる北風が吹き始める。
この日の夜も台風かと思われるようなミーニシの中、ほろ酔いでテントにて就寝。

ただひたすら穏やかな一日であった。
明日はカヌーに乗るのだ。



2003/10/26
Sun.
「美ら島日記 (4日目)」

いくら美味いといってもレシピが一緒だから流石に飽きてくるもんだ。
この頃にはホテルの朝食を見ただけでお通じが来るようになる。

もうマドロミタイムなしでは生きていけないの私、という状態である。
特にこの日は前日のアルコホルの残存濃度が高すぎた。

西表島には明日から渡ることにして、この日は石垣北端に赴くことにした。
北とは言え沖縄本島よりも俄然南である。
実は行く前の気分としては、半信半疑行く価値がホントにあるんだろうかちょっと義務的なの私、という気分であったのだが、
果たして、
そこは素晴らしい場所であった!

石垣島を訪問される方は是非訪れてみて頂きたい。
岬なんて訪れた義務的に行くようなつまらないところだが、ここは違う。
島の北端、平久保崎は、これまで訪れた岬の中のベスト1、2を競うだろう。
侮って欲しくないので書いておくが、我々は先っちょフェチである。
日本中を旅しており、行った土地の岬には必ず顔を出すようにしている。

宗谷岬、知床岬、竜飛岬、大間崎、足摺岬..
これらの比ではない。

そういえば平間崎に辿り着く前に鍾乳洞に寄ったのだった。
有名なのは石垣島鍾乳洞と言ってもっと街寄りの場所にあるんだが、それではなくて、北の方にマニアックなのが、ある。
実は、鍾乳洞が見たかったんじゃなくて「2mの大ウナギが住んでいます」という宣伝部分がメインだったんだが、
ありゃ本当にいたのか!?
池が汚くて底が見えないんだからいるんだかいないんだかが分からないじゃないか...
とっくに死んだんじゃないのか..?

大体、入場料の700円は誰に対して払ってるものなんだかも良く分からないし、ゴハン食いながら出てくんなバアさん!
奥でみんなでメシ食ってんの丸見えじゃねえか!

その後、軽く昼飯でも食うか、と思って入った店が当たりだった。
多分どのガイドブックにも載っていないが、このマニアック洞窟から車で数分北に行ったところにある。
青い庇が目印の、とても美味しいお店だった。
なので軽く食う予定が、ソーキカレーなるカレーをガッツリ食ってしまった。
飲み屋を除き、ここは石垣イチバンのオススメの店である。

で、平久保崎で感動した後、南下してサンゴ館のある白保湾へ。
見事にサンゴ館は定休日。
そんでもってサンゴが綺麗という湾は何だかさびれており、日が傾いていたこともあってあまり長居したくないの私、という感じであった。
少し早いが尿瓶の底にもどって買い物&飲み屋探しをすることにした。
戻る前にバンナ公園や唐人墓に寄り道する。大した感慨はない。つまらない。
完全な観光客向けだ。
皆さんも行く必要はないだろう。

明日から始まるテント生活のアイテムの内、まだ飯盒やら銀マットなど、石垣にあるかどうか不明なままのものが残されていた。
まあ、結論から言おう。
石垣島では殆ど揃わないものはないだろう。
キャンプ用品についてはマックスバリューそばにある「メイクマン」という店に行けばほぼ揃う。
石垣島市内で自炊したければスーパーは大はマックスバリュー、小は商店街の公設市場など申し分ない。
ドラゴンフルーツという果物をご存知だろうか。
グロテスクなこの果物はこの公設市場で試食した。不味い。

南風(パイカジ)と言う名前の店で食事。
待ちが出るほどの人気だったことから選んでみたが、まあ、それなりの味であった。
明日の西表入りを控えて、アルコールも控えめにする。

その気になればこの島ではナンパだろうがキャバクラはしごだろうが、できないものはないだろう。
それが、逆に問題なんだ。
昨日、竹富島から戻る船から見た石垣島の中心部は、まさに都会の様相であった。

覚えたてのユンタを口ずさみながら、淋しいものを見てしまった気がした。
安里屋ユンタは権力に屈しなかった誇り高い女性の歌じゃなかったのかなあ。



2003/10/26
Sun.
「美ら島日記 (3日目)」

ホテルの朝食は美味い。
もずくやチャンプルーがある。よい。
そしてオツウジは快調すぎて困るくらいである。
栄養摂取も良すぎて腹の出具合が困る感じだ。

本日も良い感じでマドロミタイムを満喫し、11時頃ホテルを出発。
本日は竹富島へ船便にて遠出する。
尿瓶の底あたりに位置する桟橋から、往復1100yenにて、片道およそ10分の距離。

ご存知であろうか。
八重山諸島は面積的には石垣島と西表島が両巨頭であり、その他に7つ程の小さな島を有する。
最南端は波照間島であるが、両巨頭に挟まれた場所に位置する小さな島の一つが竹富島である。
人口300人。牛は軽く人口を凌駕する。

一つの弊害であるが、
「観光客が住民より多い」
というのはある種、折り合いが必要な状態である。
要するに住民や文化、衣食住がパンダ状態となっている状況。
さまざまな葛藤が存在する中、水牛観光やレンタサイクルという商売が成り立っている。
残念ながらそのいずれもを利用し、この島を観光する。

赤い瓦、白い砂が敷かれた路上。たくさんの珊瑚で形作られた塀。
はっきり言ってこの島の集落は絵になる。素晴らしい。
しかしながら絵になるが故に弊害が生じる。
いずれ破綻するだろう。
この素晴らしさを保存するには何らかの処置が必要と思う。

水牛観光というのは、屋根付きリヤカー風のものを水牛が引っ張ってくれるというものなのであるが、そのガイドが竹富島発祥の「安里屋ユンタ」なる歌を三味線に乗せて歌ってくれた。
これが異様に俺のブランコを揺らしてしまった。
沖縄に住む人にとっては当たり前のように諳んじている歌であるが、俺が聞いたのは初めてだった。
それでも、素晴らしい歌だと思った。
帰京後、ユンタに関していろいろと調べることになる。

島内にある星の砂ビーチやコンドイ岬にて焼き焼きした後、船で石垣に戻り、郷土料理屋「ユンタ」へ。
イラブチャーなる青い魚の刺身を食す。
あんな青い魚が食用なんてありえないんだが、、まあ、そこそこ食える味だった。
飲み放題で1000円だという。

地ビールを飲みまくり、そしてベロベロになって再びBLUE CAFEへ。
友人が「珈琲泡盛」のミルク割りをオーダー。
それは、酔っ払う上に眠れなくなるぞ、と警告したが、果たして、美味しい酒であった。
ちなみに私は一口しか飲んでいない。
まっすぐ歩けない。

きっと忘れないわ、貴方の事。(byナウシカ)



2003/10/26
Sun.
「美ら島日記 (2日目)」

本日からマドロミタイムを導入。
朝食の後、しばしまどろむ。

午前中は尿瓶の底にてショッピング。というよりは旅の後半に備えてのアイテム調達である。
滞在期間を無理矢理延ばしているため、後半の二日間はテント生活となる。
そのための焼き物用網であったりカラダを焼く用の銀マットであったり、お絵書き用の鉛筆や筆など..

本日は底地(スクジ)ビーチにて焼き焼きの予定であったが、尿瓶の底から這い上がった頃には既に二時を越してしまっていた。
最寄の商店にてあり合わせの昼食(とオリオンビール)を購入しビーチへ。

うーん..今日は焼ける!
シュノーケリングを楽しみつつ、焼く。
そして焼く。

今ビーチで読んでいるのは佐藤賢一著「双頭の鷲(上)」。
フランス14世紀頃の歴史小説である。
その他、持参した書物を紹介しておこう。

アメリカ人はバカなのか?/小林至
復活の朝/栗本薫
双頭の鷲(上)(下)/佐藤賢一

実は吉田修一の最新刊と花村萬月の王国記Uも買いたかったのだが間に合わなかった。
二時間弱、焼き焼きした後、シャワーを浴び再び尿瓶の底へ。
本日は「石垣牛」と名乗る高級牛が存在するということで「タンタン亭」という、それを食わせる店へ赴く。
ちなみに石垣牛は「時価」である。
果たして、石垣牛をオーダーすると、
「特選と極上がございますが..」との返答。

なんてこった!!
極上は250gからだと言う。そんなに要らない。
何だか負けたような気がするが特選を注文し、しばし壁の有名人サイン色紙に見入る。
こういうので萬田久子を見るのは初めてだな...
出された肉は、まあ、ぶっちゃけて言えばフォルクスよりはマシだったと言える。
ただ、値段程度の価値があったかというとそれは謎だ。
その後、若干ヨコシマな気持ちを持ちつつ「BLUE CAFE」へ。
ここは雰囲気が良くて、連チャンで通うことになる。
まあしかし石垣島の夜は早いな...

味はともかく、長靴いっぱい食べたいよ..(byアスベル)



2003/10/26
Sun.
「美ら島日記 (1日目)」

なんと出発は日曜朝6:45の飛行機。
前日に浜松町の友人宅入りするも2時まで飲んでしまい就寝時間は2時間。
前々日はラーメン屋でラーメンをぶちまけ、この日は握力でなんとビールグラスが割れる。
先行きが非常に不安である。

往路は石垣空港への直行便であった。
10:15頃、無事石垣島空港に到着。
これからの1週間、全く何の予定も無い。思うが侭に行動することにする。
遅い夏休みであるがきっと海にも入れることだろう。気温は本日25℃とのこと。微妙では、ある。

空港でどのレンタカー屋から車を借りるかヤイヤイ相談する。
あれでもないこれでもない、マーチがいいだのWillがいいだのとモメるが、最終的にめでたく「南の島レンタカー」に決定。
これを読んでいる方。名前が怪しいとか言わない。
どうやら日産とホンダを扱っているらしい。
空港から店まで送迎されて渡された車はホンダのLOGO。
助手席のドアは、内側から蹴っ飛ばすと開く。
いや、言い換えよう。助手席のドアは内側から蹴っ飛ばさないと開かない。

そして石垣島にはAEON主催のMAXVALUEや100円ショップやモスバーガーが普通に、ある。興醒めでは、ある。
いささか例えが悪いが、石垣島は尿瓶(シビン)の形をしている。入り口を右に向けたような形である。
そして島の中心部は尿の貯まる底の部分の辺りである。
ホテルがあるのは取っ手の辺りであったため、LOGOにて北上する。約30分。
約30分、というのは迷わなければ、の話である。

尿瓶の中央部に位置するバンナ公園付近はラビリンスであるので、北上している気分でもいつのまにか中心部に戻ってくる。
この迷宮を打破するにはある一定の時間が必要である。
(更にこの迷子トラウマを回復するのに約2日かかった)

その日の呪縛を解いた後、ホテル近辺の川平(カビラ)公園茶屋にてソーキそばを食す。美味。特に豚角煮とカツオだしが美味である。
そのままチェックインし昼寝。
その後尿瓶の底へ繰り出す。
ISHIGAKI INTERNET CAFE にて情報収集。
ベタではあるが、BIGINや夏川りみがオススメするという「ゆうな」という郷土料理屋へ。
ラフティ、グルクン(沖縄の県魚)の唐揚げ、ゴーヤチャンプルー、そして石垣の地ビール、古酒。
しかし石垣の夜は早い。10時には閑散としている。
コンビニエンスストア「シーサー」で花火とオリオンビールを買って底地ビーチへ。
星が綺麗だ。
明日はきっと泳いでみせる。サカナ達にSPAMを与えてみせる。

明日もたくさん飛ばなきゃ...(byナウシカ)



2003/10/06
Mon.
「母性」
ある日、駅前の惣菜屋さん街でお昼ゴハンでも買って帰ろうと思った。
偶然、赤飯を売り物にしているお店が目に入った。
そういえば今まで美味しい赤飯なんて食べたことなかったなあと思い、此処で買ってみるか、と思った。

レジには誰もいなかったので奥にいたおばさんを目で呼んだ。
やる気なさそうな、無愛想な顔つきで出てきたので、瞬間、店を失敗した、と思った。
これをくれ、というと、そのおばさんはレジを打った。
レジには定価より安い金額が表示されている。

「兄ちゃん学生さんだろ。50円まけといてあげたから。」

と言って笑った。
とても良い笑顔だと思った。
やっぱりこの店で良かったんだ、と思った。



2003/10/06
Mon.
「ニッポンはバカばっかりなのか?」
中央線の工事が遅れてJRの幹部が頭を下げていたのを見た。
頭を下げている幹部をバカマスコミがパシャパシャと写真を撮っている。
何かというとどこぞの幹部がマスコミの前で頭を下げているのを見る。
誰に対して謝ってるんだ?

私はよくあるこの風景に対して、妹尾河童氏の著作、少年Hから以下の言葉を贈りたい。

僕は、何に最敬礼してるんかわかっていたいんや

おまえら、ちょっとは恥ずかしいとか思えよ。
な。